エスノメソドロジー・会話分析研究会: 2015年度春の例会・短信

2015年度の春の研究例会は、2016年3月6日(日)に関西学院大学梅田キャンパスで開催されました。参加者は50名を超え、午前中の第1部・自由報告、午後からの第2部・書評セッション、ともに充実したものになりました。当日の雰囲気を広くお伝えするために、写真と報告者のかたがたからお寄せ頂いた文章を掲載します。登壇されたかたがたはもちろん、活発なディスカッションによって、この会を有意義なものにしてくださった会場のみなさんにもお礼を申し上げます(戸江哲理・森本郁代)

内容の詳細は→活動の記録(2015年度)をご覧ください。

短信

自由報告

「ヒア・レスポンスにおける学習者の修正やりとりの構造――問題点を指摘する連鎖に着目して」

  • 吉陽(筑波大学大学院)

EMCA 2015年度春の研究例会で発表させていただき,まことにありがとうございます.そして,先生方の貴重なコメントやご指摘をいただき,深く感謝を申し上げます.この場を借りて,先生方からのコメント・ご指摘と自分の答えをまとめて,今後の研究に生かさせていただきたいと思います.

コメント1:今後の課題として,作文の書き手や指摘する読み手以外のPRの参加者の介入について,分析を行うべきである.例えば,断片3において,作文の書き手や指摘する読み手以外の参加者であるAは,作文の書き手が指摘された文について説明している途中に,自分の理解を割り込み,指摘された文には問題がないことを示し,問題点指摘のやりとりに深く影響を与えたと考えられる.

回答:私は自分の研究において,この「作文の書き手や指摘する読み手以外の参加者」を「第三者」と呼んでいます.PRにおいて,第三者の役割は非常に重要だと思います.博士論文において,一章を設けて,第三者の役割を述べる予定です.

コメント2:読み手が相手の作文について否定的なコメントをしている際に用いている手続きについて,全部フェイスへの配慮であるという解釈は不十分である.

回答:本発表における3つの問題指摘の手続きは全部書き手自身が自ら問題点を認め,修正を試みる機会を生み出すようにデザインされています.確かに配慮だけでは説明しきれないと思います.読み手は指導者ではなく,あくまでも1人の学習者であるため,相手の問題点を断定できないことも考えられます.実際に問題点指摘のやりとりにおいて,読み手は日本語学習者というアイデンティティーを常に示しています.

コメント3:学習者は3つの手続きを用いて,相手の作文について問題点を指摘しているが,この3つの手続きはそれぞれ特定された作文の問題点に対応しているのだろうか.例えば,このような手続きは作文の内容に対する指摘を行うときに使われているが,他の手続きは作文における文法の誤用に対して,指摘するときによく使用されているというような傾向があったとしたら,PRの指導につながるかもしれない.

回答:「ほかの可能性を探る質問」と「特定の部分を取り出して,上昇イントネーションを付加することによって,問題部分を特定する」というこの2つの手続きは,文法的な誤りに対して使われています.一方,「指摘する前に,書き手の意図を確認する」というやり方は作文の表現についての指摘を行う際に使用されています.その理由として,作文の表現は作文の形式よりも書き手の意図を表すものであり,さらに正解がないため,読み手はより指摘しにくいからだと考えられます.そのため,相手の意図を確認するという段階が必要となるのではないかと考えております.

平本毅(京都大学)

  • 「会話分析におけるマルチモーダル概念再考」

「会話分析におけるマルチモーダル概念再考」という題で発表させていただいた.近年の会話分析研究の主たる発展の一面に,非音声言語的相互行為資源の複合的使用場面の分析の隆盛を位置付けられることには異論がないだろう.この研究動向は一般に「マルチモーダル分析と称される.

発表者は数年前から,ジェスチャー研究者やコミュニケーション学者との交流を通じて「マルチモーダル分析」の動向とかかわりをもってきた.本発表はその中で考えてきたことを暫定的に整理し,会話分析研究における「マルチモーダル」概念の用法という切り口から論じたものである.

具体的に行ったことは,他分野から「マルチモーダル」概念が輸入されるに至るまでの会話分析における身体動作研究の歴史の概観,昨今の経験的研究における「マルチモーダル」概念の用法の整理,会話分析研究の基本方針と「マルチモーダル」概念使用の整合性の検討の三点である.

発表の伝わりやすさという観点からは,なぜこの内容の発表をこの構成で行うのか,研究背景をもう少し丁寧に説明すべきであったという反省が残る.発表者の出発点は,自身が「マルチモーダル分析」の動向と関わるなかで,シェグロフ(2009; 359)の言葉を借りれば「”マルチモダリティ”の提唱者たちが,ビデオデータに基づく相互行為研究における会話分析研究の知見を,意味があるとしてもその影響は僅かなものだとみなす」場面に繰り返し遭遇し,また「なぜ会話分析者は発話中心的なのか」といった類いの問いに直面してきたことにあった.この種の問いを正面から受け止めて答えるためには,少なくとも会話分析研究における身体の扱いの展開を敷衍することが求められるだろうし,この問いがなぜ繰り返し発されるかを理解するためには,この言説がどんな研究活動の実践の中で用いられているかを調べる必要があるだろう.そしてこの問いに込められたものを経験的研究に建設的に活用していく道があるとすれば,その道標は会話分析の指針とその言説との関係を整理することを通じて見出されるものだろう.発表者にとっては5,6年分の厚みをもった,この発表の議論の「背景」を,ほとんど説明することなく話を進めてしまったために,前提を共有できず建設的な議論に繋げられなかった.

それでも,フロアからは,「インタビューの自然史プロジェクト」と会話分析研究の接点について,またチャールズ・グッドウィンの記号論的資源semiotic resourcesとマルチモダリティの二つの概念の関係について,示唆に富んだ質問をいただいた.この二つに明快に応えることはできなかったが,議論を深めていくために取り組まねばならない宿題を見つけることができたという意味で,たいへん有意義な時間になった.質問をいただいた先生方と,我慢強く話を聞いてくださった聴衆の方々に感謝したい.

「観察社会学(エスノメソドロジー研究)によるワーク研究の中心は教育の研究でした.」

  • 岡田光弘(国際基督教大学)

まず,ご来場いただいた皆様,特に,貴重なコメントをいただいた先生がたに感謝いたします.

EMCA,特に,ワークのエスノメソドロジー研究(ESW)における教育研究(高等教育機関での講義の研究)の歴史をもとに,EMの主要な概念を明確化するのに役立ちそうないくつかの提案をしました.

研究会の設立時からのメンバーとして言うなら,会話分析(CA)は,社会学における質的な研究法として確固たる実績を挙げ,重要な地位を占めてきています.これに対して,エスノメソドロジー研究(EM)については,近年においても,知識や理解が増しているとは言いがたいと思います.基本書の翻訳を企画するなど,努力はしてきましたが,諸般の事情から,未だ,その思いが達成されたとは言えない状況です.

そこで,Garfinkelらの講義研究の学史を示すことで,彼が構想し,実践したESWの姿を示すことで,EMの基礎的な概念についての理解が増すことを目指して,この報告を行ないました.講義のような「上から目線」の報告だったのには,そういった事情があります.

ず,GarfinkelとSacks,そしてSudnowというEMの創始者達の関わりを明らかにしました.Garfinkelらのワーク研究(ESW)は,Sacksらによる”会話”の達成の研究をモデルに開始されました.Sudnowとの大学での化学の講義の研究は,”会話”とは異なった活動の達成を研究しようとした試みでした.それは,結果として,研究にビデオを導入する必要性をGarfinkelに痛感させました.その弟子であるBurnsとの,社会学の講義についての研究は,Sacksが自分の講義で見せた,言葉だけでないジェスチャーの力が研究の動機になっていたようでした.(ここで再び,Sacks登場!).そして,Burnsは,法曹教育を題材にして,この部分を強調した研究を行なっています.

表題で「観察社会学」という言葉を使ったのは,「批判的エスノメソドロジー」「概念分析の社会学」といった,GarfinkelのESW構想の外にあると思われる,日本固有のEMと差別化するためでした.EMには,身体で学んだ適格な能力(Vulgar Competence)に基づき,その場で起こっている「固有の方法に寄り添うべしという要請(Unique Adequacy Requirement)」があります.報告では,これについての強い解釈に,This(このようにと手順が示せること),弱い解釈にWhat(どんな感じか見て分かること)を割り当てることで,ESWの研究に見取り図を与えました.

限られた時間内で,お伝えしきれないこともたくさんありましたが,少しでもお役に立つ報告であったら,とても幸せです.

書評セッション

高田明・嶋田容子・川島理恵編『子育ての会話分析――おとなと子どもの「責任」はどう育つか』についての概説

  • 高田明(京都大学)

2015年度春の研究例会にて,『子育ての会話分析』の書評セッションを開催していただき,ほぼ半日にわたって熱の入った議論をおこなうことができました.この場を借りて,この企画にご尽力いただいた関係者のみなさまに改めて御礼申し上げます.

子育てでは,「相互行為における会話」にまつわるさまざまな規則が,相互行為の参与者に必ずしも共有されていないことが前景化します.そんな時,養育者は文化的に構築されてきた知識を背景として,子どもに適切な振る舞いをさせようと苦心します.いっぽう子どもは,自分が身につけてきた方略を駆使して,これに応じたり,抗したりします.その精一杯さに養育者がつい惹き込まれ,共鳴することも少なくありません.こうしたせめぎあいは,相互行為に関わるどんな規則が,どのように共有されていくのかについて考える重要な素材となります.当日の議論では,これに関して多くの貴重な示唆をいただきました.

書評セッションでも申し上げたように,本書は2007年以来の私たちの共同研究の里程標であるとともに,これから考察を展開するべき問題提起でもあります.また今回のような白熱した議論がおこなえることを心より願っております.

第2章「言うこと聞きなさい――行為指示における反応の追求と責任の形成」(高田明と共著)

  • 遠藤智子(日本学術振興会特別研究員RPD)

本発表では第2章について内容紹介を行った.まず日本語の文法形式として行為指示的機能を直接的に持つ表現を分類したうえで,CCIコーパスの一部における使用頻度および位置についての計量的分析を行い,命令形は要求形・勧め形・誘い形等の他の形式よりも目立って使用数が少ないこと,および連鎖の初めの位置よりも遅い位置で多く使われることを示した.そのうえで,養育者の行為指示に子どもが従わない場合には,(1)繰り返し(2)強い形式への移行(3)他の行為の指示という方略が用いられ,それぞれにおいて子どもの自主性,ひいては行為への責任を導く工夫がなされていることを論じた.

評者からは分析場面の選定方法や代表性についてのコメント等をいただいた.本研究では自然言語処理研究者の協力のもと,トランスクリプトからの検索システムを構築し,詳細に観察したい部分の発見に役立てている.また,ミサワホームとの共同研究プロジェクトでは生活空間のデザインが家族間相互行為に及ぼす影響について分析しており,そこでは明確なやりとりがない場面も研究の対象となる.研究の目的により手法や着眼点は異なるという,当然ではあるがしばしば議論となることを今一度確認した.