西阪 仰・早野 薫・須永将史・黒嶋智美・岩田夏穂、2013、共感の技法──福島県における足湯ボランティアの会話分析

目次と書誌

  • 2013年7月刊行
  • 定価2,520円(税込)
  • 2013年7月発行
  • A5判・228頁
  • ISBN978-4-326-60255-1
  • 勁草書房 |

本書は、会話分析にもとづく相互行為論の立場から、東日本大震災以後、福島県で行なわれている足湯ボランティア活動における、足湯利用者とボランティアの相互行為上の手続きを分析した研究書である。ほぼ初対面で行なわれる足湯ボランティアの枠組みの中で、どのような組織だった活動が行なわれているのかを、研究者だけではなく、できるだけ多くの方に読んでいただける形にまとめている。ボランティアの共感的反応、マッサージと会話の複合的活動の組織、利用者による話題の展開などは、どのような手続きに従ってなされているのかを詳細に記述することで、コミュニケーション・ボランティアとしての足湯活動の側面を照らしだしていく。

はしがき/事例の引用で用いられている記号
序章 足湯活動の相互行為分析 [西阪 仰・須永将史]
第1章 二つで一つ――複合活動としての足湯活動 [西阪 仰]
第2章 マッサージの手順が違反されるとき [須永将史]
第3章 視線のゆくえ [西阪 仰]
第4章 話題の展開――足湯利用者はどのようにして自分から語り始めるか [西阪 仰]
第5章 態度のすりあわせ――「共感」はどのように形成されるか [早野 薫]
第6章 避難期間の表わし方から読みとれること [早野 薫]
第7章 飛び越えの技法――「でも」とともに導入される共感的反応 [西阪 仰]
第8章 経験の固有性を認める共感 [黒嶋智美]
第9章 共通性を示すこと――共感の権利はどのように主張されるのか [岩田夏穂]
第10章 段階をへる共感 [黒嶋智美]
第11章 不満・批判・愚痴を述べるということ [早野 薫]
終章 できなかったこと、そしてできたこと [西阪 仰]
あとがき/本文のなかで言及した文献一覧/人名・事項索引

本書から:「日本語版への序」

多くの避難所で、早くから避難住民とコミュニケーションをとるボランティア活動が行なわれていた。ここで言うコミュニケーションとは、「避難住民とともにいること」や「会話をすること」という程度のことでしかない。だが、こうしたことが、多くのものを突然失い、あるいは、生活再建の見通しもままならない避難住民にとって、なんらかの意味を持ちえたことも、想像できる。(p. 1)

私たちが本書でめざすのは、あくまで、足湯活動における、足湯利用者とボランティアの相互行為が、まさにその相互行為に参加する利用者とボランティア自身によってどのように動かされているか(その手続き)を、明らかにすることである。(p. 8)

若いボランティアたちが、利用者の厳しい体験を聞いて、どう反応していいか分からなかったと漏らすことがある。しかし、実際の相互行為を分析してみると、かれらは、かれらなりに、ちゃんとしかるべき反応を行なっている。そのとき、私たちが解明するのは、かれらが実際に従っている手続きのいくつかである。ボランティアたちは、いまはその手続に、それと自覚しないまま従っているのかもしれない。しかし、それぞれの手続が言葉によってはっきりと表現されるならば、こんどは、それを一つの選択として用いることができるようになるかもしれない。(p. 9)

著者たちに聞く ── 一問一答

本書をまとめようと思った動機やきっかけを教えてください 私たちは、2011年6月より、研究プロジェクトとして、福島県の避難所や仮設住宅で行なわれていた足湯ボランティア活動の模様を記録してきましたが、本書にまとめる構想はプロジェクト開始から半年たった頃からありました。それは、現地で取材に協力してくださったコーディネータの方々や、多くのボランティアの方々、また避難生活をおくられている住民のみなさんに、足湯活動が「心をときほぐすことができる」と言われるメカニズムの一端を明らかにし、知ってもらいたいという、相互行為の一研究者としての僭越な願いからだったように思います。また、この当時語られていた、人びとが感じたことや考えを記録にとどめるという意味でも、本書は重要な役目を果たせるのではないかという思いもありました。(黒嶋)
構想・執筆・編集期間はどれくらいですか? 構想から執筆、出版まで、ちょうど1年半ぐらいです。2011年8月後半より分析を開始し、2012年1月ごろ本書の構想をし始め、執筆は同年6月ごろより、各自のそれまでの分析をまとめる形で行ないました。執筆を終えた章から随時編集をし、2013年1月末に脱稿、4~5月で校正、7月末に出版という怒涛の速さで過ぎた1年半でした。(黒嶋)
編集作業中のエピソード(苦労した点・楽しかったこと・思いがけないことなど)があれば教えてください

いろいろ大変でしたが、分析自体がいちばん苦労しました。特に、8章を書いている時は、現象をうまく捉えることができず、何度も何度も書き直しをしました。その過程で10章のアイデアも得られたりしました。どれだけ真摯にデータに向き合い、また考えを深めることが重要であるかという点について、執筆活動を通して実感することができ、執筆過程そのものがとてもいい勉強になりました。また、専門用語を使わずに、分かりやすい表現をすることにも腐心しました。(黒嶋)

執筆に直接かかわるわけではありませんが、撮影のために何度も福島に行きました。現地に赴き、自分たちも足湯ボランティアに参加して、地道にデータを集めました。調査の時は、一人一人にお願いし、ご許可いただけたら大慌てでカメラをまわしていました。一日二か所の調査地に行ったり、大雪の中車で出かけたこともありました。苦労して撮影したデータでしたが、見れば見るほどそこで起きている相互行為の豊かさに驚き、執筆への意志が強まりました。(須永)

執筆中のBGMや、気分転換の方法は? Aphex twinのavril 14th は気が付いたら100回くらい聞いてることがありました。あと、気分転換しすぎて禁煙に失敗しました。(須永)
執筆において特に影響を受けていると思う研究者(あるいは著作)は? Heritage (2011)の、“Territories of knowledge, territories of experience: Emphatic moments in interaction” (In Stivers et al. eds., Morality of knowledge in conversation. Cambridge: Cambridge University Press) は、本書の中の多くの章のインスピレーションとなっています。Heritageは、相手の経験に共感する、という行為に関わる「ジレンマ」について語っていますが、このジレンマは、足湯ボランティアに携わる方々の多くが解決しなければならないものでした。ボランティアの方達が感じている「難しさ」を、分析的に言い当てた論文として、繰り返し参照することになりました。(早野)
言語学者に特に読んで欲しい箇所はありますか? その理由は? すべての章が、言語が初対面の話者どうしの間でどのように使用されているかに言及していますが、とくに、特定の言語要素が果たす機能に着目しているのは、第6章、第7章、第9章です。それぞれ、「でも」、強意表現、「~も」など、特定の言語要素が、インタラクションの中で辞書的な意味を超越して果たす機能を明らかにするものです。会話参加者達が、たがいの発話を理解する上で、その言語上の組み立てだけではなく、出現位置を参照しているということが、はっきりと表われていると思います。(早野)
工学者に特に読んで欲しい箇所はありますか?その理由は 本書のどの章をとっても、工学者の方にはエビデンスとして物足りなさを感じられるかもしれません。特に文中の、「のようにみえる」、「かもしれない」、「だろう」のような独特の「可能性」に言及するような言い回しは、社会的相互行為における秩序を産み出すメカニズムが、アプリオリではない、偶発的な性格を持つものとして定式化されるべきだという考えに立っているともいえます。一方で、私たちが普段ごくごく当たり前のことをしているだけにみえる、例えば共感というような行為が、じっさいのやりとりでは、様々な「やり方」で行われているという知見は、工学の分野(特に人工知能)が目指していることにも直接的に関係のある、応用可能な知見であると思われます。あらたなを研究材料を見出すきっかけ作りとして、本書を手にとっていただければありがたいです。(黒嶋)
実践家に特に読んで欲しい箇所はありますか? その理由は? 「共感すること」を必要とする実践は、足湯に参加するボランティアの方々だけでなく数多くあるかと思います。本書は、「共感すること」というテーマについて、それが非常にさまざまな実践によって成し遂げられることを記述しようとした本だと(僕は)考えています。そのため、「共感すること」がひとつの重要な実践であるような領域で活躍している実践家の方々には、もしかしたら自明のことのように思われるかもしれません。しかし、この本をきっかけに、普段特に気にせずにおこなっていることを改めて言語化したり、さらには「共感すること」の新たな側面を見出すようなことがあったりすれば幸いです。あの福島県で起きた災害のあと、さまざまなボランティアの方々と接しながら我々が見て取ったのは、共感することのむずかしさを感じながらも、それでも一貫して相手に寄り添おうとするボランティアさんたちの姿勢でした。少しでもその姿勢の一端を描くことができていることを望むばかりです。(須永)